映画『聲の形』はいじめられた人、いじめた人、それを容認していた人と、それぞれの立場を均等に描くことで「いじめの形」を示してみせています。
私は過去いじめられた経験があります。その傷は大人になっても癒えないし、今でも相手を許さない。
ああ、こんな立場で人は人をいじめていたのだな、と考えさせられました。
『聲の形』あらすじ
あまりにも有名な内容なので割愛。
- 小学六年生の石田将也は聴覚障害者の少女・硝子をいじめる、
- 周りもおもしろがりのっかっていく
- いじめ発覚
- 主犯格の将也にすべての責任を押し付け、今度は将也がいじめの標的に
- 5年後、硝子と将也は再会し、新たに関係を築こうとしていくが…
「きれいごと」「感動ポルノ」の先にあるもの
こどもというのは、世界一純粋で、そして恐ろしいものかもしれません。
中国の呪術で「巫蠱」というのがありますが、舞台になった教室は「巫蠱」に似てます。
狭い空間で精神的に傷つけあって、最後まで生き残った者が呪者(先生や世間)に認められる、みたいな。
『聲の形』では、こどもたちの心に毒がたまっていく様子が描かれています。いじめる相手にも理由はあるし、完全な悪ではない。(悪だったらどんなに楽か)
また、いじめられる硝子も最初は「かわいそう」と思うものの「もっとうまく立ち回ればいいのに…」と思う気持ちもありました。
物語は成長した将也と硝子が新しい関係を築こうとしますが、周りの当事者たちにさまざまな波紋をよんでふたりは追い詰められていきます。
あがいてあがいて、絶望して、つながろうとする将也と硝子。かつていじめていた者と、いじめられていた者。
かれらが破壊してしまったものを、新たに築こうとする思いはこちらにもしっかりと伝わりました。
わからないから排除する
『聲の形』もそうだったし、有川浩さんの『レインツリーの国』でも中途聴覚障害者と接する面倒くささも描いています。
また、阿部暁子さんの『カラフル』でも車椅子ユーザーの少女が登山に参加することで、クラスメイトが困惑するという描写がありました。わからないから怖いし困るのでしょう。
それを「感動ポルノ」ですべて片付けようとするのは、相手を対等にみていないことになるのでしょう。
『聲の形』は「いじめ」の形について、いろいろと考えが浮かぶ作品でした。
これをNHKのEテレで放送するってすごいですね。さすが、「バリバラ」で某チャリティ番組を揶揄するだけあって、結構Eテレはロックなところがあるよなあ。

